超絶おもしろい名作「君の名は。」抽象的個人的感想。(ネタバレなし)
話題沸騰中の「君の名は。」ようやく見ることができました。新海作品はどれも大好きなので、おもしろいのはわかっていたのですが、それでもハードルを超えてくるあたり、いやぁーーーさすが新海さん!
切なさで心臓がキュンとなりました。キュン死にです。
と、気ままに感想をザックリと。
「君の名は。」新海作品にしかない魅力について
君の名は。個人的に感じた大好きポイント。
①絵がとにかく綺麗
②世界観が心地良い
③人間は切なさを求めてる
①絵がとにかく綺麗
これ、自分の癖なんですが、アニメ映画を見ると、無意識のうちにどこかジブリと比べてしまう時がある。
今でこそいろんなアニメ映画がありますが、少し前までは、アニメ映画=ジブリっていう王道一色だった気がします。
もちろんアニメ映画自体はありましたが、テレビのアニメの延長というか。映画のためだけに作られたアニメ映画ってそんなに多くなかったような。
アニメの延長とは違い、映画のためだけのアニメって、独特の魅力があります。先入観や事前情報無しに、たった2時間の中で、いかにキャラをたて、世界観を共有し、ひとつのストーリーとしてまとめるか。
これは、アニメの延長では決して感じられない魅力で、なんかいろいろなものがギュッと凝縮されたような、そんなかんじ。大好きです。
ともかく、そのポジションで長らく君臨してきたジブリ。良くも悪くも比べてしまいます。
そして、最も大きな違いのひとつが、絵。手書きにこだわり、温かみのある画にこだわるジブリと違い、最近のアニメ映画はCGを駆使して超リアル、美麗です。
これは好き嫌いもあるとは思いますが、私は大好きです。新海監督の前作、「言の葉の庭」でも感じましたが、新海作品の絵は、見てるだけで切ない雰囲気に包まれる、独特の風景描写。
日常よくある風景なのに、アングルや「間」、音楽との調和でここまで変わるんですね。映像がリアルなだけに、より一層心に響くものがあります。
絵を見るだけでも価値がある、そんな映画だと思います。
②世界観が心地よい
これも、今までの新海作品を踏襲している部分ですが、とにかく新海作品は、世界観。これにつきます。
映像の行間を読むというか、なんというか。ただ映像が流れているだけでもそこに切なさが漂います。
今回も、もちろんストーリーはしっかり見ているわけですが、同時に世界観という名の行間を味わっているかんじ。まるで自分もそこにいるかのような、ナチュラルで入り込みやすい。
家で、君の名は。の映像をひたすら流しながら、ゆっくりワインでも飲んで陶酔したい気分になります。
意味わからないですね。抽象的な感想ですみません(笑)
③人間は切なさを求めてる
新海作品は、毎回毎回、とにかく切ない。そして、その切なさこそが人気の秘密です。どうして人は切ない作品を見たがるのでしょうか?
切なさって、寂しさです。どっちかっていうと負の感情。なのに、映画を見て切なさを感じると、どことなく感じる陶酔感。快感。
これは冒頭の私の発言に通づるのですが、切ないと、胸がキュンとなります。恋をしても、胸がキュンとなります。一緒です。
人間は胸キュンを求めてるのです。そこに恋も切なさもないのです。切なさは心臓に染み渡り、陶酔させてくれる麻薬のようなものです。
君の名は。は、これ以上ないくらい陶酔しました。切なさと切なさが絡み合って、脳に電気が流れました。
「時間」というテーマのもと、会いたいのに会えない。会っているのに会えない。会いたかったのに会えない。
この切なさは、極上です。
超絶おもしろい名作「君の名は。」抽象的個人的感想。(ネタバレなし)
話題沸騰中の「君の名は。」ようやく見ることができました。新海作品はどれも大好きなので、おもしろいのはわかっていたのですが、それでもハードルを超えてくるあたり、いやぁーーーさすが新海さん!
切なさで心臓がキュンとなりました。キュン死にです。
と、気ままに感想をザックリと。
「君の名は。」新海作品にしかない魅力について
君の名は。個人的に感じた大好きポイント。
①絵がとにかく綺麗
②世界観が心地良い
③人間は切なさを求めてる
①絵がとにかく綺麗
これ、自分の癖なんですが、アニメ映画を見ると、無意識のうちにどこかジブリと比べてしまう時がある。
今でこそいろんなアニメ映画がありますが、少し前までは、アニメ映画=ジブリっていう王道一色だった気がします。
もちろんアニメ映画自体はありましたが、テレビのアニメの延長というか。映画のためだけに作られたアニメ映画ってそんなに多くなかったような。
アニメの延長とは違い、映画のためだけのアニメって、独特の魅力があります。先入観や事前情報無しに、たった2時間の中で、いかにキャラをたて、世界観を共有し、ひとつのストーリーとしてまとめるか。
これは、アニメの延長では決して感じられない魅力で、なんかいろいろなものがギュッと凝縮されたような、そんなかんじ。大好きです。
ともかく、そのポジションで長らく君臨してきたジブリ。良くも悪くも比べてしまいます。
そして、最も大きな違いのひとつが、絵。手書きにこだわり、温かみのある画にこだわるジブリと違い、最近のアニメ映画はCGを駆使して超リアル、美麗です。
これは好き嫌いもあるとは思いますが、私は大好きです。新海監督の前作、「言の葉の庭」でも感じましたが、新海作品の絵は、見てるだけで切ない雰囲気に包まれる、独特の風景描写。
日常よくある風景なのに、アングルや「間」、音楽との調和でここまで変わるんですね。映像がリアルなだけに、より一層心に響くものがあります。
絵を見るだけでも価値がある、そんな映画だと思います。
②世界観が心地よい
これも、今までの新海作品を踏襲している部分ですが、とにかく新海作品は、世界観。これにつきます。
映像の行間を読むというか、なんというか。ただ映像が流れているだけでもそこに切なさが漂います。
今回も、もちろんストーリーはしっかり見ているわけですが、同時に世界観という名の行間を味わっているかんじ。まるで自分もそこにいるかのような、ナチュラルで入り込みやすい。
家で、君の名は。の映像をひたすら流しながら、ゆっくりワインでも飲んで陶酔したい気分になります。
意味わからないですね。抽象的な感想ですみません(笑)
③人間は切なさを求めてる
新海作品は、毎回毎回、とにかく切ない。そして、その切なさこそが人気の秘密です。どうして人は切ない作品を見たがるのでしょうか?
切なさって、寂しさです。どっちかっていうと負の感情。なのに、映画を見て切なさを感じると、どことなく感じる陶酔感。快感。
これは冒頭の私の発言に通づるのですが、切ないと、胸がキュンとなります。恋をしても、胸がキュンとなります。一緒です。
人間は胸キュンを求めてるのです。そこに恋も切なさもないのです。切なさは心臓に染み渡り、陶酔させてくれる麻薬のようなものです。
君の名は。は、これ以上ないくらい陶酔しました。切なさと切なさが絡み合って、脳に電気が流れました。
「時間」というテーマのもと、会いたいのに会えない。会っているのに会えない。会いたかったのに会えない。
この切なさは、極上です。
頭が良い人ほど騙される『ピエロがお前を嘲笑う』感想〜伏線・結末解説と考察(ネタバレあり)〜
本日、ドイツのマインドファック映画『ピエロがお前を嘲笑う』を見ました。非常に巧みな伏線と、どんでん返しの結末がとにかく面白かったので、感想と解説を書いてみたいと思います。
マインドファック映画は、この映画のように、最後の最後でどんでん返しがあり、脳に電気が走るような爽快感が味わえるのが特長です。
私は、事前情報無しに見たのでマインドファック映画だとは知らなかったのですが、なんとなく伏線を拾っているうちに、まんまとミスリードにたどり着いてしまいました(笑)
そういう意味では、最初からどんでんがえしがあると思ってひねくれて見るよりも、素直に見た方が楽しめると思います!また、上手に伏線をひろえた人ほど最後で騙されるので、頭のいい人ほど騙されると言えるかもしれません。
以下、解説になります。ネタバレですので、まだ見てない方はご注意を!
まずは結末の振り返り。結局どういうことだったの?
まず、超簡単に物語を振り返ると、内気で孤独な主人公ベンヤミンは凄腕のハッカー。マックスらハッカー集団との出会いをきっかけとし、様々なハッキングを仕掛け、認知度を上げていく。
ところが、ベンヤミンの独断で度を越してしまい、殺人事件への関与で指名手配されてしまう。
そこからは、殺人事件の真犯人である世界的ハッカーMRXを特定し、政府に差し出すことで、殺人事件に関する潔白と自らの証人保護を求めるために紛争するというもの。
結末としては2段階あり、まずは、自ら名付けたハッカー集団クレイのメンバー全員が実在せず、ベンヤミンの多重人格であったという結末。
そして、実はその多重人格だったという結末自体がトリックであり、多重人格と見せかけてクレイのメンバーは実在した、という結末。
この、2段階のオチが何よりの魅力だと思います。
主人公のキャラと巧みな伏線がポイント
この映画では、ベンヤミンの多重人格を思わせる細かな伏線が散りばめられています。まずは、ベンヤミンの性格。内気で冴えない陰キャラで、明るい世界に憧れつつも、自分への劣等感で殻に引きこもっているような性格。
そこに突如現れたマックスの存在。マックスは、作中冒頭でも語られているように、『自分とは正反対の性格で、しかし多くの共通点があった』存在。
勘の良い方はここで少しひっかかったのではないでしょうか。偶然にしては出来すぎた、ハッカー同士の出会い。そして相手は自分に無いものを持っていて、自分のことを理解してくれる。
そんな理解者であるマックスは、承認欲求が大きい。重鎮であるMRXにとにかく自分たちを認めさせたい。まるで劣等感の塊であるベンヤミンの気持ちを代弁しているかのようですね。
女性に関しても、好きな女性と上手く話すこともできないベンヤミンと、対照的に社交的なマックス。二人はかなり対照的に描写されています。
ここらへんの、ベンヤミンが多重人格だと言われて納得してしまうような要素の散りばめが、非常に上手だと思いました。
物語の鍵はソーシャルエンジニアリング
ソーシャルエンジニアリングとは、ハッキング行為の一種ですが、ネットワーク上ではなく、現実での物理的・心理的手法を用いて情報を盗み出す手法。物語の冒頭部でマックスの行うソーシャルエンジニアリングが強調されています。
そして、物語の真相は、このソーシャルエンジニアリングで用いられている心理作用を応用したもの。
この物語の進行は、出頭したベンヤミンが捜査官に自白していきながら回想していくという進め方。
捜査官は、ベンヤミンの話を聞きながらも、各部分に散りばめられたトリックにより、自らベンヤミンの多重人格にたどり着きます。
そして、実は、そうやって捜査官が自ら偽の結末にたどり着くよう仕向けることこそがベンヤミンの目的。捜査官は見事に心理コントロールされ、我々視聴者もまたコントロールされていたというわけです。
単に視聴者を心理コントロールするだけでなく、冒頭で敢えてソーシャルエンジニアリングを強調し、登場人物もそれを実践している。そして、実はその手法に視聴者もまさにかけられている、という構成がすごく楽しいです。
何重にも張り巡らされたトリックがミソ
まとめると、「そういうことだったのか!」と思った矢先にそれ自体を否定する新たな「そういうことだったのか!」が浮かんできて、見ている側としてはとてもテンポよく楽しく騙されることができたのではないでしょうか。
単に結末でひっくり返るだけでなく、もう一度ひっくり返すための伏線というものが、とても巧みでおもしろいと思いました。
結末を知った上で、各伏線に注意しながらもう一度見てみると、また新たな伏線が見つかって、違った楽しみ方ができると思いますよ^^
ここさけ感想・評価-ダイジェストで振り返り〜筆者心の声と考察を添えて〜(ネタバレあり)
見てきました、ここさけ。
心が叫びたがってるんだー!
全体を通しての感想としては、中盤までは素晴らしかったです。あの花っぽい魅せ方や引き込まれるかんじは心地よいものでした。
ただ、ラスト40分は物足りなかったですね。やはり、終盤に向けて、まさに「心が叫ぶ」ような尻上がりの展開やスピード感を求めていたのですが、そのような感じはなかったです。心が叫んだというよりは、心が呟いたってかんじでしょうか?
とにかく、ラスト40分を残して収束してしまい、残りの40分はありふれたドラマのステレオタイプに則った退屈なものでした。それでも、ラストのミュージカルシーンは良かったですし、中盤までの出来だけでも高評価、それに曲と映像美を合わせても絶対に見るべきです。
点数をつけるならば70/100点といったところですが、じわじわと余韻を感じ、曲も頭を離れず、迷ってる方には必ず見ろと尻を引っ叩きたい作品です。
それでは、各ターニングポイントをダイジェストで振り返りながら、
個人的見解を述べたいと思います。
※以下ネタバレとなりますので、まだ見てない方はご注意を!
〜心が叫びたがってるんだ-感想・振り返り-〜
①言葉を失くした理由
順は、明るくお喋りな女の子。山の上にあるお城に憧れ、いつか素敵な王子様と共に行ってみたいと思っていた。しかし、そのお城がラブホテルであることは知るはずもない。ある日、お城から出てくる父を見かけ、何も知らない順は、そのことを母へと饒舌に語る。母は言うのであった。「お願いだからそれ以上何も喋らないで。もう二度と、喋っちゃダメ。」
このことをきっかけに、両親は離婚。去り際の父へ、何もわからず話しかける順に、父は言う。「お前は本当にお喋りだな。全部お前のせいじゃないか。」
自分を責める順の前に、卵が現れ諭す。言葉は人を傷つける。お喋りなお前は、言葉を封印しなければ幸せにはなれない、王子様も迎えに来ない、と。以後順は、言葉を発すると腹痛に見舞われるたまごの呪いにかかり、喋れなくなるのだった。
冒頭のテンポの良さは良かったです。
ただ、それ故に両親の責め方に、少しやり過ぎ感はありました。
お父さんが、自分の浮気を棚に上げて、あまりにダイレクトに娘を責めるもんだから、ちょっと引きました。笑
かわいそうな順ちゃんT_T
あ、あと、順の「おじゃん!?」が可愛かったです。笑
②高校生になった順
高校2年に成長した順は、地域ふれあい同好会の実行委員に選抜される。これをきっかけに、実行委員4人の物語が始まる。4人は、それぞれの問題に対し胸に抱えた思いを言葉に出せない点では、順と一緒なのであった。
順は、坂上に言われたことをきっかけに、歌なら呪いが発動しないことに気づく。同好会でのミュージカルが現実味を帯び、乗り気で無かった周囲も次第に賛同、クラス一丸となって同好会成功に邁進する。そして、順は、坂上への思いを募らせていく。
中盤の、青春に乗ってサクサクと物事が良い方へ進んで行くのは心地よかったです。
この時の私の危惧はひとつ。
そろそろ起承転結でいう転が来る頃か?そうなのか?
ケンカか?トラブル発生で上演が危ぶまれるか?とにかく、頼むからありふれたドラマのような安い転を付け加えて無難な典型パターンに落とし込むのはやめてくれー!ということ。
すみません、ひねくれてます(笑) そしてこの願いは後ほど打ち砕かれるのであった。
また、二つの名曲、「悲愴」と「Over the Rainbow」を忍(坂上)が重ねたシーンは、トリハダたちました。そこに至るまでの感じも非常によく、今作最大の名シーンのひとつでしょう。
P.S. 配役図を見た時、田崎の役名が「玉子」であることに違和感を感じます。本来玉子とは調理済みの玉子を指すはず。そして王子の下に書かれた玉子。王子と玉子を掛けてる。これはまさか・・・。筆者の悪い予感は後ほど当たるのであった。
③来ました、転
リハーサル後、二人になった坂上と二藤。順のことが好きなんでしょ?と問いただす二藤に対し坂上は、キッパリ否定。頑張ってる順を見て、応援したくなるだけ、好きだからではないと主張。そしてその会話を聞いてしまう順。
傷ついた順の前に再び現れる卵。卵は順を責める。君は心がお喋りすぎる。もう呪いはおしまいだ。スクランブルエッグだ、と。そう、オジャンである。
同好会当日、順は姿をくらませてしまう。原因が自分たちにあることを知った坂上は順を捜索しに行き、急遽主役と王子が代役に。呆れる順の母、信じて待つクラスメイト。坂上は、順が罪人の処刑場、つまり城に居るのではないかと気づく。
長い転でした。そしてありふれている。
この典型こそが青春なのでありリアルであるのと言うのなら、文句は言うまい。
それでも、少しはオリジナリティのある展開にして欲しかった。そして長い。
絶好調にまで高揚した気分は、数十分かけて地に堕とされた。この先の僅かな上映時間で、どんな叫びを魅せてくれるのかに期待しつつ、転の時間をやり過ごす。
④フィナーレ
坂上は順を見つけ、学校に戻るよう促す。呪いの解けた順は、自分の言葉は人を傷つけるのだと自分を責める。傷ついてもいいから言葉をもっとくれ。そう言われた順はここぞとばかりに、心に閉じ込めた思いを、言葉を、吐き出す。それを受け止めた坂上に、自分の言葉が人を喜ばせていたことを教えられ、舞台に戻る決心をするのだった。
順は、舞台に、少女の心の声として登場。丁度母の横を通り過ぎる時の歌詞。「私の言葉は人を傷つける。皆は私の声が出なくなることを望んだのだ。」母は涙を堪えきれない。
舞台のフィナーレ。悲愴とOver the Rainbowの二重合唱が織りなす独特の雰囲気で幕を閉じる。
坂上は二藤に思いを告げる決心をする。そして、順の元に愛を告白しにきたのは、田崎だった。そう、順を迎えに来たのは、王子ではなく、玉子なのであった。
順の、心の声の歌唱シーンは、泣けました。順が声を閉ざした本音。それは、まさしく卵など最初から居らず、自ら声を閉ざした経緯と由来を語るものでした。
ひとつ思ったんですが、忍が聞いた、卵に言葉を込めて捧げる話。きっと順もその話を、幼いながらに知っていたんでしょうね。そして、お喋りな自分への戒めとして、潜在意識にあった卵の話に則った自己暗示が生まれたのでしょう。
ラストの二重合奏は、がんばって両方の歌詞を聞き取ろうと頑張りましたが、無理でした、精進します。
物語はここで終わりますが、最後はタイトル通り、心で叫んで終わって欲しかった。忍への悪口の吐露が、ここでいう叫びならば、物足りないです。せっかく喋れるようになったのだから、今まで閉じ込めた思いを、もっと叫んで欲しかった。視聴者の心に突き刺さるくらいに。
からの玉子エンド。この裏切りは、ある意味オリジナリティ。悪い意味で(笑)
そして、エンディング(乃木坂)。
個人的には、あの花のsecret base、ここさけのクラシック同様、得意の既存曲アレンジで締めるのが一番良かったとは思います。
クラシックをベースに、敢えてここでそれをカバーするか!!といったエンディングにしてもおもしろかったんじゃないかと思いました。少なくとも乃木坂よりは。
ただ、まぁ、そこは大人の事情がありますので、汲んでやってくださいな。映画を作るのにもお金がかかりますし、事務所のプッシュもありますから。
どの世界でも、大きくなりすぎた規模の波に、主体側が流されてしまうことはよくあるこです・・・。
と、謎のシメになりましたが、ざっくりとはこんなかんじです。
あの花好きなら、雰囲気を楽しむだけでも心地よい作品でした。
DVDでたらもう一回みたいですね。
映画クレヨンしんちゃんのコロッケの五木ひろしモノマネがすべってる件(一部ネタバレ)
先日、映画クレヨンしんちゃん「ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」を見てきました。
さすがの笑いで、楽しく見てたのですが、見終わったあとの満足感は
はっきりいって微妙でした!
原因は途中からのグダリです!
特に、終盤の、五木ひろしロボ登場以降はしょーもなさすぎます。笑
このシーンで、いっきにテンションだだ下がりです!
なぜなら、強引に笑いを取ろうとしすぎている!
そしてスベッてる上に尺を取りすぎてる!
だいたい子どもは五木ひろし知らんでしょう!!笑
クレヨンしんちゃんの笑いの真髄は、要所要所にみえる、
さりげなく微笑ましいのほほんとした意外性のある笑いにあります!
この五木ひろしの件を見て思ったのは、まるで
ボボボーボ・ボーボボを見ているようだということ笑
笑いを取ろうとするあまりストーリーや整合性をないがしろにし、
強引な笑いですべり倒し、終わっていったギャグマンガです。
この五木ひろしのシーンはまさにそんなかんじでしょう笑
今までもクレしん映画に芸人枠はありましたが、それはあくまで余興。
ストーリーの根幹に関わるラストでやっちゃいかんでしょう!!笑
とまあ、見ていて感じたので思わず書いてしまいました笑
これは、ギャグマンガがよく陥ってしまう落とし穴なんですけどね。
ギャグマンガも、笑いさえとればいいわけじゃないぞ、と。
それはさておき、今回のクレしんは総合的にも少し低評価な印象でした。
昨年のB級グルメの方が良かったように思います!
それでは、次回作に期待ということで、今回はこのへんで!